天麩羅蕎麦 2022/09/20 脚本
○京都のとある街道・夕方
しらぬい、車が来ないかを確認しながら道を歩いている。
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しらぬいN「その日、私は半端に腹を空かしていた」
大学のキャンパスを飢えた顔で歩くしらぬい。
しらぬいN「後期になって初めての授業。ぼんやりと受けて終わった後に、これもまたぼんやりとした空腹感があった。」
しらぬいM「これは、何か食べるまで帰れませんなぁ」
しらぬいM「漱石の『坊ちゃん』は毎日天麩羅蕎麦と団子を食って銭湯に浸かってたっけな。ああいう暮らしがしたい。読んだ後しきりに天麩羅蕎麦が食べたくなってヤバい」
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再び街道を歩く場面。
しらぬいN「そういうわけで、私は空いたお腹に希望を据えて台風が残した涼しさを浴びながら歩いていた」
しらぬい、『大鶴』の看板を見て立ち止まる。
しらぬいM「ここか」
しらぬい、『大鶴』に入る。店内に4人用の席が3席、2人用のが3席あり、狭くはない。4人用の席で中国人留学生が食べながら談笑している。天井近くにある小さなテレビがニュース番組を流している。
店員「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
しらぬい、2人席に座り、メニュー表を見る。
しらぬい「この天ぷら蕎麦って、海老ありますか」
店員「ありますよ〜。蕎麦とは別皿で付いてきます」
しらぬい「じゃあこれで」
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しらぬい、小さなテレビと談笑する留学生や外の人々が行く街路を見て、しばらくボーッとする。
しらぬいM「どうしてか、ネットを見てると人間がキライになるのに、こうやって食べ物屋に来ると、営みが尊いものとして目に映る。こんな風にいつまでも安らかでいたいものだ」
店員、天麩羅蕎麦をおぼんに載せて持ってくる。
店員「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
しらぬい「ありがとうございます」
しらぬい、蕎麦と天ぷらを舐めるように見つめる。
しらぬいM「蕎麦は思ったより大きいな。天ぷらは太った海老天に、葉っぱと、その他もろもろ」
しらぬい、取っ手が右向きの割り箸を左に直し、割る。
右手でレンゲを取り、出汁を飲む。
しらぬいM「あ、これは分かりやすいくらいの……鰹節か? いい味と香りだ。次に麺を……」
しらぬい、蕎麦をすする。
しらぬいM「さすがだな。思えば美味しい蕎麦ってのは細いのに柔くないものだな。コンビニのだとすぐに千切れちゃうし」
しばらく蕎麦をすする、しらぬい。
次に葉の天ぷらと海老天を出汁の上に浮かせる。
しらぬいM「すべてを浸からせるのはもったいない、出汁に浮く程度にして、カリッとした上面との絶妙なギャップで二つの食感を楽しめるように……」
しらぬい、出汁をつけた葉の天ぷらをかじる。
天ぷらの食感が残っているうちに蕎麦をすする。
恍惚とした表情になる、しらぬい。
しらぬいM「あぁ~~」
しばらく天ぷらと蕎麦を交互に食べ続ける。
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空になった丼と皿。
しらぬい、お茶を飲んで、椅子にもたれる。
しらぬいM「こんなに穏やかな気分、年に何回あるだろうか」
しらぬい、店の出口越しに曇り空を眺める。
しらぬいM「理不尽なことが外には蔓延っているけれど、なにもそればかりじゃない。こうやって安らかであれる時もあるなら、しばらく生きていてもいいかと思える。」
道行く人々。
曇り空の京都の風景。